どうも、のんびり生きたいドットコムのブログ管理人のhideと申します。
このブログはドラえもんに出てくるのび太君の名言、「のんびり行こうよ、人生は」という言葉に感銘と切なさと心強さ(?)を受けた男が、人生をのんびり生きるために必要なあれこれ(雑)を書き綴るために立ち上げました。
人生観は人それぞれですが、万人に共通する生きていくために必要なものとして「お金」が挙げられます。お金があれば良い暮らしができますが、幸せになれるかどうかは別。しかし、お金があればほとんどの不幸を避けられると思います。
ここでは主に「お金」に焦点をあて、裕福な暮らしでなくともお金が無いことで起こり得る不幸を回避できるよう、一人でも多くの方に情報をお届けしていきたいと思っています。
さて、そんな壮大な思想を持つ管理人について、簡単な自己紹介と、僕がこれまで歩んできた人生を綴っていきます。
hideのプロフィール
名前:hide(偽名)
年齢:1983年生まれ
性別:オス
生息地域:京都
身長・体重:178㎝くらい・65㎏くらい(腹は出てない)
職業:さすらいのフリーター兼、なんちゃってブロガー兼、堅実な投資家兼、やる気のないスロプロ(引退気味)
ファッションセンス:皆無
好きなもの:旅・ビリヤード・競馬・ゲーム(RPG)・漫画・お菓子・インドカレー(主にバターチキン)
恋人:いねーよッ!言わせんなッ!(絶賛大募集中)
hideの人生譚
1983年、この世に生を受け、高校まで順調に育つ(雑)。
高三の秋、友人に誘われホテルのレストランのバイトに応募。接客は嫌なので洗い場に応募し、バイト初日に案内されたのはなぜか調理場であった。
そしてそのレストランで俺史上最高に可愛い同い年の女の子と出会う。(出会っただけで付き合えたとは言ってない)
人間関係に恵まれ、調理の仕事が面白そうと勘違いした思った僕は大学を中退し調理の専門学校へ。学費を稼ぐため入学までに貴船の料亭やトヨタの期間工で荒稼ぎをする。
料亭は忙しすぎて、控えめに言って地獄であった。
デザートのメロンを切りまくっていたので、お運びのお姉さんたちに「メロンちゃん」と呼ばれ、調理場の怖いお兄さんにはなぜか「もみあげ君」と呼ばれた。
専門学校卒業の直前、人生で最大のピンチが訪れる。
家で豪快なくしゃみをしたことがきっかけで、椎間板ヘルニアを発症。
歩くことすら困難になり、就職することなく専門学校を卒業。そのまま半年ほどほぼ寝たきりで過ごすことになる。ようやく痛みが治まり、リハビリがてらバイトで体力とお金を補強。
当時流行したmixi(ミクシィ)で友人とともに飲み会を開催し、料金を1人千円ほど多く徴収する最低な詐欺行為を働く。か、幹事は大変やからそれくらいの対価あってもええやん?(ホンマすみませんでした)
その場に来ていた子がきっかけで、その後長らく付き合うことになる彼女と出会う。ハッピーッ!!
(数年後、僕に結婚願望がなかったためフラれる)
同時期、別の飲み会で知り合った人(男)と仲良くなり、mixiで使用していた「hide」と呼ばれるようになる。その周りの人たちからもhideと呼ばれたので、偽名を使うときはいつもhideとすることにした。
ちなみに、hideは実兄の名前の一部である。
教員助手・hideの誕生
身体の調子も良くなり、彼女もできて順風満帆な日々を過ごしていると、卒業した専門学校から教員の助手として働かないか?と誘いを受ける。
ここに「専門学校教員助手hide」が爆誕。今は助手でも、経験を積んで資格を取れば教員として働くことができるため、将来が明るくなってきたのであった。
そして専門学校は一年で潰れました(一同大爆笑)。
当時、教員側と運営側でかなり揉めていた。が、詳細の分からない僕はあまり関与することなく成行を見守るだけ。
校舎は使えなくなったが別の場所を借りて授業を継続することになるも、在校生と新入生で残ったのは数名のみ(そらそうよ)。
別の場所で授業は続いたが、なんと三カ月ほど給料は支払われず。
さすがにこのままではやってられんということで、校長に今月の給料がなかったら辞めますと伝える。すると申し訳なさそうに「なんとかします」と校長が言う。
そして僕は辞めた。
空回る仕事
専門学校を退社し次の仕事先を探しているとき、専門学校の上司から卒業生がやっている店を紹介してもらいお世話になることに。
この店の店長がまぁストイックな方で、時間はかかってもいいから丁寧な仕事をという考え方であった。
店長はとても手際が良く、また知識も豊富で素直に尊敬できるレベルの人。
ただ、その店は閉店時間が決まっておらず、お客さんがいればいつまでも開けているため、労働時間はザ・飲食店&超薄給(ブラック)だったので、めっちゃしんどかったのが本音です。
しばらく働いたある日、専門時代の上司から連絡があり、滋賀で新しい事業を始めるから手伝う気はないかとお誘いを受ける。
その事業が調理の専門学校に近いもので、生徒を募集し調理の基礎から教えていくというもの。
専門学校での仕事は楽しかったので、非常に興味をそそられる誘いだ。ただ、今のお店で働いてまだ一年も経っていないので、良くしてくれている店長に申し訳が立たず話を切り出しづらかった。
ある日、何か違和感を感じたのか、店長のほうから「何かあった?」と聞かれ、実は誘いを受けた仕事をやってみたいと考えていることを話す。
店長は「自分のやりたいことをやったらいい」と言ってくれ、僕は滋賀で新たな一歩を踏み出すことに。本採用するのは新年度からということで、それまでは調理実習のときに手伝いにいく形となった。
そして半年ほどで滋賀の仕事は辞めた。
信仰心はありません
き、聞いてくれ。僕はその仕事を続けたかったんや。でも、いざこれから新年度!って時期の直前に、向こうからトンデモない条件を出されて悩んだ末に断ったんや。
その条件ってのが、とある人のもとで「実印(10万円)」を作ること。
事業は上司と奥さんが二人でやっており、二人とも熱心な風水マニアだった。そしてたまたま二人は同じ風水の先生にお世話になっているらしく、その先生に実印(10万円)を作ってもらうことが条件だったのだ。
オカルト全般を一切信じていない僕は「???」である。だが、どうも二人はその先生の元で作る実印(10万円)がないと事業がうまくいかないと信じ切っているようだ。
僕はあれこれ抵抗してみたものの、どうやっても相手が折れることはないと感じた。その結果、こちらが折れるしかなく仕事を辞めることになったのだ。
だって怖くね?
実印(10万円)だけで済めばいいけど、その後もなんやかんや理由を付けて色んなものを買わされる可能性があるわけやん。さすがに無理です。
ということで、晴れて無職となった僕このとき28歳。
割とガチで頑張るつもりだったので、その話が流れて一気に仕事に対する意欲が低下。前の店に戻る選択肢もあったが、頑張ります!と大見得を切って出ていった手前ちょっと顔を合わせづらく、結局戻ることはなかった。
そんなこんなで次の仕事を探さなければならない状況も、やる気が起きずに一ヶ月ほどが過ぎた頃…
たまたまコンビニの雑誌コーナーで目に入った「スロットで勝つ方法」を読み、スロットとか勝てるわけないやんとか思いつつ、その方法を試している僕がいた。
…結果、勝ててしまった。
スロプロ・hideの爆誕
その方法は毎回勝てるわけじゃないけどトータルでは勝てるというもので、その仕組みを理解すればスロットで稼げることが分かった。
簡単に説明すると、一回の当たりで五千円分のメダルが出る台に、四千円使えば当たる台を探して打つという感じ。
いつも四千円で当たるわけではなく、一万円で当たる(負ける)こともあれば千円で当たることもある、その平均投資額が四千円なので平均すると千円勝てるというものだ。
勝ち方を知った僕はその後しばらくスロットで稼ぐ生活を続ける。同時に、以前働いていたバイト先から手伝ってほしいとの連絡があり、バイトとスロットで稼ぐハイブリット生活が始まった。
スロットは思った以上に効率よく稼げた。滋賀の仕事がなくなったときは人生で一番お金がなかった状態だったが、散財するタイプではないのでお金はみるみるうちに貯まっていった。
バイトとスロットで稼ぐ状況が数年続き、お金が貯まってきたことであることを考えることになる。
「このまま貯金だけしてていいんやろか?」と。
投資家hideの激誕!
スロットとバイトでそこそこのお金が貯まった僕は、このまま貯金だけしてていいのかと疑問を持つようになり、そして僕は株式投資を始めた(安直)。
おい、そこの「安直なヤツ…」と思ったキミ!
否定はしないよ。
正直、今の生活はいつまでも続けられないと思っていたので、なにか違う道を探さないと…と考えたとき、「とりあえず資産運用やな」となるのは人間の性である。知らんけど。
スロットで稼ぐという一般常識からかけ離れた生活をしているくせに、実はかなり慎重な性格で知られた僕は、もちろん投資を始める前にもあれこれ勉強をしている。
が、本を読んでも書いてあることがよくわからん。
わからんから「とりあえずやってみるか」と、大胆な性格で知られる僕はひとまずありったけの空っぽな知識で株を買ってみた。
そして一ヶ月でめちゃくちゃ赤字の状態になった(助けて)。
ただ、赤字の状態でも損が確定するのは株を売却すればの話である。
スロットの勝ち方を知っていた僕は、やり方を間違えなければ「短期的には運の要素が大きいが、長期的には運の要素は薄れる」ことが株式投資にも当てはまると考えていたので、すぐに売却する考えはなかった。
いきなり大赤字状態になっても、売っちゃダメだ売っちゃダメだと碇シンジばりに自分に言い聞かせた。もちろん、内心ではビビりまくりだよバカヤロー!!
米国株との出会い
内心ビビりまくっていたが、ほどなくして株価は回復→上昇に転じることになる。
絶賛大赤字だった状態も、気付けば利益が出ている状態に。なるほど、株式投資をやってみて初めて株価の値動きを体感し、上げたり下げたりを繰り返すということが理解できたのだった。
そうこうしているうちに投資を始めて一年が経つ。
上げたり下げたりを繰り返す煮え切らない株価をチェックしていると、とあるブログが目に留まる。それが「バフェット○郎の秘密のポートフォリオ」だ。
そこには「まだ日本株に投資してるの?」というイケ○ヤも真っ青な煽りタイトルの記事があり、それを読んだ僕は米国株投資を始めることになる(素直)。
米国株投資とか意識高い系かよ!と思った?
いやいや、今や投資といえば米国株というくらい、投資界隈ではメジャーな戦略ですよ?
世間一般では投資自体がマイナーやけどな。
さらに時は進み、米国株投資でも個別企業ではなく国全体に投資をする「インデックス投資」が僕には最適ではないか?と考える。
その結果、現在は個別株をすべて処分し、完全なるインデックス投資で現在も運用を続けている。
ちょうどこの頃からさらなる別の収入源を確保すべく、ブログを始めることに。僕は競馬が大好きで、競馬の魅力を伝えるべく競馬専門ブログを立ち上げた。
初期こそなかなかアクセスが集まらないものの、継続はパワーッ!というなかやまきんに君の教えの通り、継続していくなかでそれなりのアクセスを集めることに成功。
が、競馬ブログではまったく収益が上げられないことに気付いた(助けて)。
そこで新たにお金の知識を発信するブログを立ち上げ、株式投資=ギャンブルという間違ったイメージを払拭すべく、「全国株式投資の間違ったイメージを払拭しようの会」会長として活動を続けている。
念のため言っておくが、そんな協会は存在しません。
実家の借金問題
米国株投資を始めてから約一年後、たまたま実家に帰って親と話をしていると、住宅ローン以外の借金があることが判明。それも、予想だにしない金額が。
詳細を聞き、現状の借入額と毎月の返済額を確認すると、まさに首が回らないとはこのことか…と思うくらい家計は火の車となっていた。
あれこれ考えた結果、僕が借金を立て替えて返済するしかなさそうだ。その額は当時の手持ちの半分以上。運用している資金まで持ち出す必要があったため、将来設計をもう一度考えなおすようになった。
実家の家計改善にあたり、今まであまり興味も知識もなかった保険や税金について勉強する機会ができたのは自分にとってプラスになった。ブログのネタにもできるし。
実家に戻って二年ほど経過した頃には、家計もほぼ安定するように。
もう借金する心配はないだろうと思えるようになった頃、実家だと家事を母親に任せがちになるので、どうしてもだらけた生活を送ってしまうと感じた僕は再び一人暮らしをすることになった。
ミニマムでシンプルなhide
僕は物欲がなく、部屋にあるものは少ない。あるときから、部屋って広くても意味ないよな…と感じるようになり、契約した部屋はこれまでで最も狭い部屋だった。
ベッドは処分しマットレスに、洗濯機はとある事情で買うことなく洗濯は手洗いで、自炊をするので冷蔵庫や電子レンジは置いていたが、部屋にあるのはマットレス・冷蔵庫・電子レンジ・テーブルくらい。
そんな生活で何が楽しいの?と聞かれると、別に楽しくはないけどね、としか言いようがない。部屋に色々あったところで楽しいとは思わないがな。
狭い部屋での生活は、思った以上に快適だった。
なんといっても、掃除がめちゃ楽。掃除機は持たず、クイックルワイパーでサッと床拭き、ほこりが溜まりそうなところはハンドモップでササっと。
ものが少ないので、掃除するたびに動かして…とかする必要もなく、掃除がとても捗るのだ。ちなみに、洗濯の手洗いもよく驚かれるが、昔のお母ちゃんはみんなやっていたんだよ!
男の一人分くらい、なんてこたぁない軽作業でした。
hide、人生に迷う!
再び一人暮らしを開始してから約3年、ひょんなことからホテルのレストラン(調理場)でバイトをすることになる。
この頃はブログも停滞気味(いつもやけど)、スロットで稼ぐことにも疲弊感があり、気分転換にバイトでもしようかなと思っていた矢先に、同級生の知り合いが店長を勤める店を紹介されたのだった。
とりあえず、週に数回・数時間で(良い意味で)適当に働ければいいかと思っていたら、人手不足で思った以上に働くことになったのはなんでだろう…
人間関係は良好なので別にいいんやけどね。とはいえ、最初からいつまでもここでバイトとして働くことは考えていない。
現在はスロットから離れて数ヶ月。スロットは稼ぐためにやっていただけで、もはやそこに楽しみはなく、離れても打ちたいという気がまったく起こらない。
かといってブログだけで生活できるほどのスキルはないし、ブログが楽しいかと言われれば別に楽しくはないのが正直な感想。
幸い、米国株投資を知ったおかげで収入は少なくても将来的な金銭面の不安はほとんどなくなった。ならば、これからは収入よりも楽しさを優先した仕事をやるべきだと考えている。
ま、それが見つかりゃ苦労はせんがな。
のんびり生きたいんや!
スロプロは社会の役に立たんけど、今は家族を助けられたならやってた意味はあったと思っている。ある人に同じことを言ってもらえたとき、ちょっと嬉しかった。
誰しも、これまでやってきたことに何かしらの意味はあると思う。そして、これからやることにも何かしらの意味はあるだろう。
今後は、それをもっと誇らしく思えることにしたいが、ぶっちゃけ何をしたいかは定まっていない。
僕はこれまで胸を張れる稼ぎ方をしてこなかったが、おかげで家族を助けることはできたし、自分の将来についても金銭面で困ることはないところまできた。
なので、やりたいことがあればやってみて、それ以外は焦らず無理せずのんびり過ごしていくのもいいじゃない?
すでに十分のんびり生きてきた気もするが、僕は自由な人生を過ごすべく、今日も明日も生きてゆく。
hideの人生譚・完!(まだ生きてますけど)