キズナ|ディープインパクトの“最高傑作”と呼ばれ、世界へ夢をつないだ名馬
その蹄音には、父への憧れと、日本競馬の夢が宿っていた──。
ディープインパクトの後継種牡馬として、そして武豊と共にクラシックの頂点に立ち、海の向こうへも挑戦した名馬・キズナ。走り抜いたその生涯は、父の幻影を追うようでありながら、確かに自らの物語を刻み続けた。
その名に託された“絆”という願い
キズナ──その名の意味は「絆」。
この名前は、東日本大震災から立ち上がろうとする日本において、「人と人との絆」を大切に、という願いを込めて名付けられました。
そして、前田オーナーが「当世代で最も期待できる馬にこそ」と考え、牧場時代に“キャット”の愛称で呼ばれていたこの馬に与えたのです。
母はキャットクイル。姉に桜花賞馬ファレノプシス、いとこには三冠馬ナリタブライアン・ビワハヤヒデという名門血統の出自で、当初から注目を集めたのは言うまでもありません。
ディープインパクトの“最高傑作”と称された馬
父は、日本競馬の歴史を変えた三冠馬・ディープインパクト。
母系にも名馬の名が並ぶサラブレッドとして、2010年3月5日、社台ファームで誕生します。
デビュー戦からコンビを組んでいたのは佐藤哲三騎手。しかし、佐藤は後に落馬事故で引退を余儀なくされるほどの重傷を負い、キズナの手綱を手放すこととなります。
その佐藤の意見を尊重し、陣営が代役に選んだのは武豊騎手でした。
しかし、当時の武は2年前の落馬の影響もあって不振に陥り、勝利数は自己最低を記録。それでも前田オーナーは武の復活を信じ、騎乗を託したのです。
武騎手との初戦はラジオNIKKEI杯2歳ステークス。
ここでは折り合いを欠いて3着に敗れ、クラシックへ向けた賞金加算に失敗。
続く弥生賞でも5着に敗れ、皐月賞への出走は断念することに。
目標をダービーに切り替え、その出走権を得るため毎日杯へと進みます。
ここでキズナは後方から大外一気の末脚を炸裂させ、3馬身差の快勝。
この一戦で、父ディープを彷彿とさせる走りを見せ、ダービー出走をほぼ確実なものにします。
しかし、2か月というブランクでダービーを勝つのは容易ではありません。
そこで陣営は、京都新聞杯への出走を決断。
結果、ここでも後方一気の末脚で差し切り勝ちを収め、いよいよ日本ダービーの大舞台へと歩を進めたのでした。
武豊と挑んだ、日本ダービーの栄光
迎えた日本ダービー、なんとキズナは皐月賞馬ロゴタイプ、皐月賞2・3着馬のエピファネイア、コディーノらを抑えて1番人気に推されることに。
レースは横一線のスタートから、キズナは控えて後方15番手を追走。アポロソニックがハナを奪い、前半1000m通過は60.3秒と平均的なペースで進みます。
ライバルたちはロゴタイプが好位、エピファネイアとコディーノが中団。エピファネイアは折り合いを欠き、道中で躓くなど安定しない走り。
向こう正面でペースが緩みかけたところ、メイケイペガスターが動き出したことで一気に流れが激化。アポロソニックも先頭を奪い返す形でレースが早めに動き出します。
最終コーナー、キズナはまだ14番手という位置取り。
直線に向いても先頭はアポロソニック。そこへ外からロゴタイプ、エピファネイアらが迫り、道中ではスムーズさを欠いたエピファネイアが残り100mで抜け出し先頭に!
しかし、その外から満を持してキズナが大外一気の末脚。
残り50mでエピファネイアに並びかけ、次の瞬間に抜き去り1着でゴール!
ここまで不振にあえいでいた武騎手は会心のガッツポーズを見せ、勝利ジョッキーインタビューでは「僕は帰ってきました!」という名言を残しました。
復活の狼煙を上げたディープインパクト以来のダービー制覇、それをディープの息子で果たすあたり、やはり武豊騎手のスター性は天性のものに感じますね。
凱旋門賞へ──日本競馬の夢を乗せて
ダービー制覇後の秋、キズナはフランスへ渡ります。
目標は父が果たせなかった凱旋門賞。まずはその前哨戦ニエル賞でイギリスダービー馬のルーラーオブザワールドと激突。
日英ダービー馬の決戦は、ほんのわずかの差で日本のダービー馬が勝利。堂々と凱旋門賞へ向かいます。
迎えた本番。本来なら日本代表として期待をかけられるキズナですが、この年にはもう一頭の日本馬が出走。その馬は、日本競馬史上もっとも凱旋門賞制覇に近づいた馬「オルフェーブル」。
昨年2着の雪辱を果たすべく、前哨戦のフォワ賞を快勝して臨んだ一戦で、一番人気に推されます。対して、地元トレヴに続く3番人気。
フォルスストレート(偽りの直線)でトレヴが進出を開始すると、キズナもそれについていき、内のオルフェーヴルの進路をがっちりと封じ込めます。
最後の直線でトレヴを懸命に追うも、逆にトレヴには突き放され、オルフェーヴル、アンテロにも交わされ4着でゴール。
勝ち馬トレヴは2着オルフェーヴルに5馬身もの差をつける圧勝で、またしても日本馬初の凱旋門賞制覇は達成できず。
しかし、世界の舞台でも堂々たる戦いを見せたその走りは、多くの感動を与えてくれました。
取り戻せなかった輝き
帰国後は有馬記念を目標に調整されますが、体調が整わずに見送り。
年が明けて始動戦の産経大阪杯を快勝し、天皇賞(春)に出走するも、直線で伸びあぐねて4着に敗退。不可解な負け方だったため、レース後に検査をしたところ骨折が判明します。
約7ヶ月の休養を経て復帰したのものの、京都記念3着・産経大阪杯2着・天皇賞(春)7着とかつての切れ味は戻らず、その後に屈腱炎を発症したために引退することになります。
次世代へつながる“絆”
種牡馬としてのキズナは初年度から269頭もの繁殖を集め、その後も200頭近くの繁殖を集め続ける人気ぶりでした。
初年度からエリザベス女王杯を勝ったアカイイト、2年目は安田記念を連覇したソングラインなど、多数の活躍馬を輩出。
母父ストームキャットの影響で、父よりもダート適性のある産駒も多く、活躍の場は多岐に広がります。
「ディープの後継」としても、「日本の競馬の未来」としても、キズナはその名に違わぬ大仕事を果たしつつあると言えるでしょう。
絆は、いまも確かにつながっている
佐藤哲三騎手・武豊騎手・前田オーナー・佐々木調教師、深い絆で結ばれた関係者たち。
走ることで夢を見せ、父の道をたどりながらも、自らの足跡を確かに刻んだ名馬──キズナ。
キズナという名馬が誕生したのは、偶然ではなく必然だった。そう思わせるストーリーが、ここには確かにありました。
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