無敗の三冠馬・シンボリルドルフの初年度産駒としてデビューしたトウカイテイオー。
その華やかな血統と美しいフォーム、そして無敗でのダービー制覇で一躍スターダムにのし上がった彼は、名馬の名にふさわしい輝きを放っていました。しかし、その競走人生はケガに悩まされ続け、順風満帆とはほど遠いものでした。
そんな彼が、長期休養を経て奇跡の復活を遂げた1993年の有馬記念——その瞬間は、今なお多くの競馬ファンの記憶に焼きついています。
皇帝の血を受け継いだサラブレッドの誕生
父は無敗の三冠馬・シンボリルドルフ
トウカイテイオーは1988年、北海道新冠町の長浜牧場で誕生しました。
父は、無敗で三冠を制し“皇帝”と呼ばれたシンボリルドルフ。母はもともとトウカイローマンの予定でしたが、繁殖入りが遅れたことによる代役として選ばれたのがトウカイナチュラル。
このとき、もしトウカイローマンが繁殖入りしていたら、もしかするとトウカイテイオーは存在していなかったかもしれません。これも競馬のロマンのひとつですね。
デビューから連勝、非凡さを見せる素質馬
1990年、栗東・松元省一厩舎からデビュー。
初戦から力の違いを見せつける余裕のレース振りで、皐月賞トライアル・若葉ステークスまでデビュー4連勝。しかもレースではほとんど馬なりのまま後続を突き放す余裕の走りで、「ただ者ではない」とファンの心を掴みました。
そのフォームはしなやかで美しく、“見る者を魅了する馬”として注目を集めていきました。
余談ですが、ダービースタリオンで遊んでいた方は、ただのOP戦である若葉Sにトウカイテイオー(コウカイテイオー)が出走してくるのは反則やろって思ったのは間違いないでしょう。
無敗で駆け抜けたクラシック前半戦
皐月賞で世代トップを証明
5戦目に迎えた皐月賞では、3歳(現2歳)王者のイブキマイカグラを抑え堂々の1番人気。レースではスムーズに先行し、2着に1馬身差の完勝。距離や展開に左右されないレースセンスの高さを見せ、父と同じく無敗での皐月賞制覇を成し遂げます。
これでデビュー5連勝。競馬ファンの中ではすでに「ダービーはこの馬で決まり」という空気が漂っていました。
ダービーでは好位から抜け出して完勝
迎えた第58回日本ダービー。今よりも出走頭数が多く、不利な大外枠から発走でした。
しかし、好位からスムーズに進出したトウカイテイオーは、直線で抜け出すとそのまま押し切り、今度は2着に3馬身差をつけまたしても完勝。父シンボリルドルフに続く“親子無敗二冠制覇”を達成しました。
派手な末脚ではなく、あくまでスマートに、冷静に勝ちきる——それがこの馬のスタイルでした。
親子制覇の達成と大きな期待
無敗のまま皐月賞・ダービーを制覇。いよいよ親子で無敗の三冠制覇が現実味を帯び、ファンも関係者も、“父を超える存在になるのでは”という大きな期待を寄せていました。
しかし、その直後、思いもよらぬアクシデントが襲いかかります。
繰り返す栄光と挫折
無念の離脱
ダービーを終えた後、テイオーは競馬場内で歩様に異常をきたし、全治6カ月の骨折と診断されます。これにより、年内の休養を余儀なくされ、父に続く無敗の三冠制覇の夢は潰えてしまいます。
鞍上の安田隆行は「天国から地獄に突き落とされた気分」といい、調教師は「ダービーの前でなくて良かった」とポジティブに捉えますが、さぞかし無念だったことでしょう。
帝王の復活と挫折
翌年の春に復帰戦として選ばれたのは、産経大阪杯。当時は天皇賞(春)のステップレースとして組まれていた番組で、イブキマイカグラや前年の有馬記念でアッと驚かせたダイユウサクなどが出走。
このレースでトウカイテイオーはブランクを感じさせない走りをみせ、ほとんど追うことなく完勝。次走の天皇賞では世紀の対決が実現しそうなことに、ファンの心は踊ったことでしょう。
そのライバルとなるのが、前年の天皇賞(春)を優勝し、現役最強古馬として君臨するメジロマックイーンです。
本質的には中距離型とされるテイオーですが、鞍上の岡部幸雄は「地の果てまでも走れそう」とコメントすると、マックイーンの鞍上・武豊は「こっちは天まで昇りますよ」と戦前から激しい火花を散らすことに。
果たして、2強はどちらが強いのか?
そんなファンの思いをよそに、結果はあっけないものとなってしまいます。
レースはマックイーンが力の違いを見せつけ完勝。テイオーは10馬身ほど離された5着と初めて完敗を喫したのでした。
再びの骨折と天皇賞・秋での失速
レース後またもや骨折が判明し、復帰したのは秋の天皇賞。ところが、調整に狂いが生じた影響もあり、レースでは7着と初めて掲示板を外すことに。
万全とは言えないまでも、あまりに無様な負け方をしたことで「もう終わった」という声も上がり始めます。
世界の強豪を撃破も…
次走は世界の強豪が集うジャパンカップ。
当時はまだまだ外国馬が強い状況で、日本の馬が勝つことは簡単ではありませんでした。その年もユーザーフレンドリー・レッツイロープやナチュラリズムなどが来日し、そのメンバーは「レース史上最強」と評されるほど。
そんなメンバーを相手に、テイオーは好位追走から直線半ばで先頭に立ち、最後はナチュラリズムとの激しい叩き合いを制し1着でゴール。日本馬の勝利は史上3頭目で、父との親子制覇という偉業を達成します。
皇帝の息子、帝王はやはり強かった。有馬記念のファン投票では堂々の1位に選出され、レースでも1番人気に支持されましたが、なんとまったく見せ場なく後方のまま11着と大敗。
レース直前とスタート直後にアクシデントがあったようですが、年明けに体調不良から休養を余儀なくされ、休養中には三度目の骨折という事態に見舞われてしまいました。
1年ぶりの奇跡の復活——1993年 有馬記念
常識外れの出走
1993年秋。前年の有馬記念11着を最後に復帰を目指すテイオーの陣営が選んだレースは、なんと丸一年振りとなる有馬記念でした。
調教師は力は出せる状態にあると言うものの、鞍上の田原成貴は順調に来ている馬相手では苦しいかもという評価。
レースは出走馬14頭中8頭がG1馬という豪華な顔ぶれで、中でも当年の菊花賞馬ビワハヤヒデは、これまでの主戦・岡部幸雄が手綱を取る強敵です。
すべてが噛み合った、感動のゴール
メジロパーマーが引っ張る流れを、中段の内々で進むトウカイテイオー。菊花賞馬ビワハヤヒデ・ダービー馬ウイニングチケットを前に見つつ、残り1000mから徐々に進出開始。
3角で早くも前を射程圏に捉えるビワハヤヒデの直後で最終コーナーを回り、迎えた最後の直線…
王道の競馬で抜け出すビワハヤヒデを懸命に追うテイオー。残り200mを切っても粘るビワハヤヒデ。
しかし、残り100mでついに並びかけると、残り50mで完全に交わし、半馬身差をつけて1着でゴール。
1年振りの出走、しかもG1で1着という「奇跡の復活」と呼ぶにふさわしいレースに、場内は大歓声と、感動の涙に包まれました。
翌年も現役を続行しますが、度重なる体調不良により、出走することなく引退し、種牡馬入りすることになります。
“皇帝の息子”としての運命
無敗のダービー馬から、骨折・敗戦・長期休養を経ての奇跡の復活。まさに「物語性の塊」ともいえる競走馬人生でした。
偉大な父・シンボリルドルフと同じく無敗でダービーを制したテイオーは、「その血統の証明」を果たした存在。
残念ながら、テイオー自身は種牡馬として大成することはできませんでしたが、記憶に残る名馬として語り継がれることでしょう。
まとめ|トウカイテイオーが愛される理由
トウカイテイオーは、血統も才能も揃っていながら、順風満帆ではありませんでした。何度もケガに泣き、勝てない時期もありました。それでも、決して諦めずに走り続けたその姿は、多くのファンの胸を打ちました。
「やっぱり競馬っていいな」と思わせてくれる。
「一発逆転なんて、夢物語だと思っていたけど、現実にあるんだ」と教えてくれる。
そんな奇跡を、トウカイテイオーは競馬場に、そして私たちの心に残してくれたのです。
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