2000年代後半、日本競馬界に“強く、美しく、たくましい”女王が誕生しました。
その名はウオッカ。
牝馬として64年ぶりに日本ダービーを制したその快挙は、競馬ファンだけでなく多くの人々に衝撃と感動を与えました。さらにダイワスカーレットとの壮絶なライバル関係や、記憶に残る激闘を通して、ウオッカは永遠の名馬として語り継がれる存在となったのです。
牝馬として生まれた“規格外の逸材”
ロベルト系の血を受け継ぐ女の子
ウオッカは2004年、北海道のカントリー牧場で誕生しました。父は日本ダービー馬・タニノギムレット、母はタニノシスター。父方の祖先にはロベルト系の血統が流れ、母系も古くからの名牝系につながる筋金入りの牝系です。
デビュー前から期待が高かったウオッカは、G1馬のデルタブルースやハットトリックらと併せ馬を消化するなど、調教時から並外れたスピードと負けん気の強さで注目されていました。
快速娘を捉え2歳女王に
新馬戦(1着)ではスピードの違いで逃げたものの、2戦目の黄菊賞では折り合いを重視する競馬で控えて2着。
1勝馬の身でありながら抽選を突破し出走した2歳女王決定戦・阪神JFでは、ここまで快速をいかんなく発揮し圧勝を続けるアストンマーチャンが断然の1番人気に推され、ウオッカは前走の敗戦もあり4番人気でした。
しかし、レースでは逃げ粘るアストンマーチャンをゴール直前で捉え、レコードのおまけ付きで見事2歳女王となりました。
チューリップ賞での快勝と桜花賞での悔しさ
年明けの始動戦はエルフィンS。2歳女王がトライアルではなくOP戦に出走するのは珍しく、他馬よりも重い斤量を背負うこのレースを選択した陣営の狙いは…?
エルフィンSは難なく勝利し、続く桜花賞トライアル・チューリップ賞では、後に宿命のライバルとなるダイワスカーレットと初対決。
直線で前を走るダイワスカーレットを鋭い末脚で差し切り、断然の主役として本番に臨みます。
しかし本番の桜花賞では、ダイワスカーレットに逆転され2着。鞍上の安藤勝己はチューリップ賞で敗れた経験を糧に、ウオッカに勝つためにはこれしかない、というレース運びで封じ込めたのです。
64年ぶりの偉業、日本ダービー制覇
「牝馬がダービー?無謀」と言われた挑戦
桜花賞後、ウオッカ陣営は驚きの決断を下します——オークスではなく、牡馬と戦うダービーへの出走。牝馬のダービー挑戦は極めて稀で、しかも勝利となれば64年ぶりという前人未到の記録でした。
この選択には「無謀」という声や、オークスはダイワスカーレットが感冒により出走を回避したことで、オークスに出走していれば勝っていただろう…と批判する声も多く上がりました。
東京2400mで見せた圧巻の末脚
2007年5月、日本ダービー当日。皐月賞で後方から鋭い末脚を見せたフサイチホウオーが1番人気、皐月賞馬ヴィクトリーが2番人気と続き、ウオッカは単勝10.5倍の3番人気に支持されます。
直線では馬場の真ん中を選択し、逃げるアサクサキングスを並ぶ間もなく差し切り、3馬身もの差を付けて圧勝。
牝馬によるダービー制覇は64年振りの快挙で、最終的に出走を決断した角居調教師の手腕は見事というしかありません。
迷走するダービー馬
ダービー制覇後は、凱旋門賞に挑戦するための経験として、3歳ながら宝塚記念へと出走。古馬を抑えて1番人気に支持されますが、折り合いを欠き8着と惨敗。夏には脚に異常を発症し、遠征は取りやめ国内に専念することになります。
トライアルは使わず、ぶっつけとなった牝馬三冠最終戦・秋華賞ではまたもやダイワスカーレットに後れを取る3着。続くジャパンカップ・有馬記念でも4着・11着と精彩を欠くことに。
この年の最優秀3歳牝馬は、ダービーを制したウオッカではなく、年間パーフェクト連対で桜花賞・秋華賞・エリザベス女王杯を制し、有馬記念でも2着に入ったダイワスカーレットに譲ることになりました。
しかし、牝馬によるダービー制覇の偉業が認められ、JRA特別賞を受賞しています。
永遠のライバル、ダイワスカーレットとの名勝負
1年振りの勝利
年が明けても京都記念・ドバイDF・ヴィクトリアマイルと連敗が続き迎えた安田記念。鞍上に岩田康誠を迎え、2番人気の支持を受けた一戦で、ウオッカは2着に3馬身差をつけて約1年ぶりの勝利を手にします。
強さと脆さを兼ね備えたウオッカの人気は衰えることなく、宝塚記念のファン投票では1位に選ばれますが、出走は回避して秋に備えることになります。
名牝激突!世紀の一戦
秋の始動戦・毎日王冠で2着に敗れたウオッカは、次走で天皇賞(秋)を選択。ここには宿敵ダイワスカーレットに、この年のダービー馬ディープスカイも出走。
しかし、ダイワスカーレットは春に脚元の不安から休養しており、実に約7か月ぶりとなるレース。さらにウオッカは東京を得意としていることもあり、1番人気はウオッカが支持されます。
ダイワスカーレットは2番人気、ディープスカイが3番人気で、4番人気以降は単勝2桁オッズという”3強”の構図となりました。
歴史に残る「2㎝」
レースは休み明けのダイワスカーレットがハナを奪い、淀みのない締まったペースで逃げる展開。中段やや前にディープスカイ、直後にウオッカという並びで直線に。
ハイペースで飛ばすダイワスカーレットに、楽な手応えで外から追い込むディープスカイ。それを見るようにその外からウオッカがスパートを開始。
残り200mでダイワスカーレットは苦しくなり、外の2頭に交わされます。
ダービー馬2頭の叩き合いに観客のボルテージはMAX!
直後、ディープスカイと馬体を併せたウオッカの勢いが優勢となり、ディープスカイも苦しい。
宿命のライバル・後輩ダービー馬を抑え込み、このまま決着…と思われたゴール直前。
なんと、苦しくなった最内ダイワスカーレットが再びディープスカイを差し返し、ゴールの瞬間にはウオッカとほぼ並んでいたのです。
画面で見てもどちらが勝ったかまったくわからず、13分の長い写真判定の末…わずか2㎝の差でウオッカに軍配が上がりました。
ファンの記憶に残る永遠のライバル関係
東京で無類の強さを発揮するウオッカ、決して万全とは言えない状態でも底知れない強さを見せたダイワスカーレット。
生涯パーフェクト連対の優等生ダイワスカーレットのほうが能力は上とする声も多いですが、勝つときも負けるときも派手なウオッカには、強さ以外の何かを感じ取るファンが多かったでしょう。
女王として積み重ねたGⅠ7勝の実績
マイル〜中距離で無類の強さ
ウオッカは日本ダービーを含め、GⅠを7勝。東京競馬場での強さは異次元で、特に1600〜2000mの距離では“絶対女王”と称されました。
ヴィクトリアマイルや安田記念では牡馬を相手に堂々の勝利。常に厳しい条件で戦い続けたその姿勢が、多くのファンの心を打ちました。
安田記念連覇と海外遠征
安田記念では2008年・2009年と連覇を達成。牝馬によるこの記録は史上初で、ウオッカのタフさとスピードの両立を証明するものとなりました。
またドバイ遠征にも挑戦し、果敢に海外の強豪と戦う姿勢にも賞賛の声が上がりました。
「ウオッカは強い」ことを証明し続けた現役生活
決して“勝ちまくった”馬ではありません。しかしウオッカの真価は、圧倒的な相手や困難な条件でも決して逃げなかったこと。そして、何度も“強さを証明した”ことにあります。
彼女の現役生活は、数字以上に“記憶に残る名場面”に満ちていました。
引退後の静かな余生と突然の別れ
繁殖牝馬としての挑戦
引退後は繁殖牝馬としてアイルランドへ渡り、名種牡馬との交配も実現。競走馬としては唯一無二の存在だったウオッカが、“母”として何を遺すのかにも注目が集まりました。
しかし、「名牝、名繁殖牝馬にあらず」と言われるように、ウオッカの仔が競走馬として大活躍するところまではいけませんでした。
急逝がもたらした衝撃
2019年、繁殖中の事故により急逝。15歳という若さでした。突然の訃報に、ファンだけでなく競馬関係者も驚きを隠せず、SNSや掲示板では追悼の声が相次ぎました。
“永遠の女王”は、静かにその生涯を閉じたのです。
今もファンに愛される女王の記憶
その後も、ウオッカの銅像が東京競馬場に建てられたり、メモリアル映像が作られたりと、彼女の存在は今なお色濃く残っています。
一頭の馬がこれだけ多くの人の心に残る。それが、名馬と呼ばれる証なのでしょう。
まとめ|ウオッカが競馬に残したもの
近年、大レースで牝馬が牡馬を圧倒するケースが増えましたが、それも「牝馬だから」とい偏見を打ち破り、ダービー制覇を成し遂げたウオッカの功績が影響しているかもしれませんね。
そして、名ライバルとの戦い、数々の激闘、挑戦する姿勢——そのすべてが、競馬の魅力そのものだったと言っても過言ではありません。
彼女の走りをリアルタイムで見た人も、今になって知った人も、きっと心が動く。
ウオッカという馬は、それだけの“物語”を生きた、真の名馬だったのです。
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