グラスワンダー|“怪物”と呼ばれた栗毛の復活劇と、ライバルとの熱き闘い
ある一頭の名が、いまも胸を熱くさせる。
1997年、栗毛の2歳馬が無敗で朝日杯を制し、“怪物”と称された。
その名は──グラスワンダー。
彗星のごとく現れた彼は、突然すべてを失い、そこから奇跡のような復活を遂げた。
これは、沈黙の1年を超えて帰ってきた王者と、その先で繰り広げられたライバルたちとの熱き物語。
栄光の序章|2歳戦線を席巻した若き王者
デビュー前から才能は際立っていた。主戦騎手の的場均は初めて跨った際にこう語っている──
「この馬はモノが違う、とはっきりと認識した。間違いなく、将来は超一流馬になるだろう。今までにもいろいろな2歳馬に乗ってきたが、これはそのなかでもまぎれもなくトップクラスといえる1頭だ」。
デビュー戦では2馬身差の完勝。
その後はオープン特別・重賞と連勝し、誰もがその実力に目を見張りました。
そして迎えた朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯FS)。
グラスワンダーは2馬身半差のレコード勝ちを収め、圧倒的な強さを見せつけます。しかし、当時のルールでは外国産馬である彼はクラシック三冠には出走できませんでした。
栄光からの転落
1998年、NZT4歳ステークスを目標に調整されていた3月に右前脚の骨折が判明。春の出走は絶望的となります。
その頃、同じく外国産馬のエルコンドルパサーが台頭し、無敗でNHKマイルカップを制覇。新たな怪物の登場で、グラスワンダーとの直接対決に期待が膨らみ、それはすぐに実現することに。
秋、復帰戦の舞台は毎日王冠。そこにはエルコンドルパサー、そして1つ上のサイレンススズカも出走し、今や“伝説のGII”と呼ばれるほどのレースに。的場はグラス・エルコン両馬の主戦を務めていたが、苦渋の決断でグラスワンダーを選択します。
音速の逃げ馬と無敗の外国産馬2頭の激突。どの馬が一番強いのかとファンの期待をよそにレースはサイレンススズカが影も踏ませぬ逃げで圧勝。2着にエルコンドルパサー、グラスワンダーは5着でした。
完敗とはいえ、骨折明けの初戦では仕方のないところもあり、陣営は決して悲観することはなかったものの、続くアルゼンチン共和国杯では1番人気に推されながら6着に敗退。
「早熟だったのでは」と囁かれる中、ジャパンカップを見送り、有馬記念へ向かうことになります。
そのジャパンカップではエルコンドルパサーが勝利したことで、的場がグラスを選んだ判断に疑問を投げかける声も出たのは必然でした。
復活のグランプリ|有馬記念1998
迎えた有馬記念、G1馬8頭が揃う豪華なメンバーのなか、グラスワンダーは4番人気。
レースは単騎逃げの同世代の二冠馬・セイウンスカイを直線半ばで捉え、追い込む古馬最強格・メジロブライトを封じて1着でゴールイン。
強豪相手に苦しみながらも勝利をしましたが、的場は「まだいい頃の出来と比べたら物足りない」と発言したあたり、本来の姿を取り戻したときの走りはどれほどなのか…
骨折による戦線離脱から度重なる敗戦を乗り越えたこの勝利は、まさに奇跡的と言えるでしょう。
再び頂点へ|宝塚記念1999
5歳春(現4歳)。調整中のアクシデントで復帰は5月の京王杯SC。ここを快勝し、次走の安田記念では1番人気に推されるも、前走で下したエアジハードに敗れて2着。
続く宝塚記念では、同世代のダービー馬スペシャルウィークとの対決が実現します。
スペシャルウィークはジャパンカップ3着後、年明けからAJCC、阪神大賞典、天皇賞(春)と三連勝中で、1.5倍の1番人気。グラスワンダーは2.8倍の2番人気。3番人気は15.9倍と2強対決に注目が集りました。
レースはスペシャルウィークが好位4~5番手を追走し、グラスワンダーはそれをピッタリとマーク。
早め進出のスペシャルウィークが4コーナー手前から先頭に立つと、グラスワンダーもそれに続き、直線では2頭のマッチレースが展開…
されることはなく、一瞬でスペシャルウィークを交わし去り、3馬身の差を付ける圧勝劇。スペシャルの鞍上・武豊は、内国産エースをもってしても「今日は完敗です」と認め、グラスワンダーの“怪物”たる真価が再び発揮された瞬間でした。
激戦ふたたび|有馬記念1999
秋、毎日王冠を辛勝するも、調整中の筋肉痛でジャパンカップを回避。
的場は調教の感触から「違う馬に乗っているようだ」と語るほど、状態は思わしくなかったようです。
迎えた有馬記念。秋の天皇賞・ジャパンカップを連勝したスペシャルウィークがファン投票1位、しかし宝塚記念のインパクトが強すぎたのか、単勝1番人気はグラスワンダーでした。
レースは宝塚記念とは逆に、中団に付けるグラスワンダーをスペシャルウィークがマークする形に。超スローペースの中、伏兵ツルマルツヨシの手応えが良さそうだと的場は感じ、予定を変更して前を捕まえに行く。それを見てスペシャルも追随。
直線半ばで先頭に立ったグラスワンダーだが、内からツルマルツヨシ・テイエムオペラオーが食い下がり苦しくなる。
ここまでか…と思われたところで、外からスペシャルウィークが馬体を並べると、グラスワンダーの闘志に火が付き、再び伸びを見せて最後はスペシャルと馬体を併せてほとんど同時にゴール。
しかし、勢いで優るスペシャルウィークがほんの少し出たように見え、写真判定の途中も春の雪辱を果たした鞍上・武豊はウイニングラン。が、長い写真判定の結果、ゴールの瞬間だけわずかにグラスワンダーが前に出ており、グランプリ3連覇の偉業を達成。その差、わずか4センチでした。
この世代はまさに「黄金世代」であり、春秋の天皇賞・ジャパンカップを制したスペシャルウィーク、宝塚記念・有馬記念を制したグラスワンダー、海の向こうでは、凱旋門賞制覇まであと一歩まで迫ったエルコンドルパサー。
年度代表馬が3頭いてもおかしくないと言われるほど選考会でも意見が割れ、最終的にはエルコンドルパサーが年度代表馬に、グラスワンダーとスペシャルウィークには特別賞が贈られました。
最後の輝きと別れ
年が明けて6歳(現5歳)。
有馬記念後から悪い状態続くグラスワンダーは、始動戦の日経賞で6着、続く京王杯SCを9着と精彩を欠き、春の目標である宝塚記念ではついに主戦騎手の的場から蛯名正義に乗り替わり。
今年に入って連戦連勝のテイエムオペラオーが1番人気で、精彩を欠きながらもグラスワンダーはその底力を期待され2番人気に。レースでは最終コーナーを抜群の手応えで回るグラスワンダーの姿に、復活の可能性を感じたファンは多かったはず。
しかし、直線に入ると失速。
レース後には骨折していたことが判明し、引退することになりました。
鞍上の蛯名は最終コーナーの手応えから「楽勝するかと思った」と発言しており、もしも無事に走れていたらどうなっていたのか…たらればを言えばキリがない世界ですが、そう思わずにはいられないほど、最終コーナーの姿は強かったグラスワンダーそのものだったと、今でも強く覚えています。
受け継がれた血
種牡馬となったグラスワンダーは、スクリーンヒーロー、セイウンワンダー、アーネストリーらを輩出。さらにスクリーンヒーローからはモーリス・ゴールドアクターが生まれ、モーリス産駒のピクシーナイトもG1を制覇。
父子4代にわたるG1制覇は、直系牡馬として史上初の快挙です。
今も語り継がれる“王者の気迫”
栄光も、挫折も、奇跡の復活も経験したグラスワンダー。
苦難を越えて掴んだ勝利は、ただの強さ以上のものを私たちに見せてくれました。
競馬という舞台に咲いた、ひときわ熱く、まばゆい栗毛の物語。
その名は、今もファンの心に生きて忘れられることはないでしょう。
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